50手前の親不孝娘

「今」の気持ちを綴って残していきたい、それだけです。
見栄をはったり、取り繕う時間は、もう無駄としか思えない年齢になりました。
ここに思いを書くことが、私が生きていた証拠なのかも。

一年半ぶりくらい

それくらい久しぶりに父からのメールに返信をした。

事務的に無視できない用件を含んでいたからだけど

ざわざわ感が半端なかった。


でもわたし頑張ってると思う!


父がどう感じたかは考えない!


また父の依存が始まるとかも考えない!


今日は定期的に行ってる息子の発達障害のカウンセリングの日でもあったのだけど・・

さっきEテレでアスペルガー小中生の番組をやってた。

こんな天才的な子たち=アスペと思われたら困ると思った。

いいイメージをつける意図なのかどうかわからないけど。


テレビのこの子たちのどこが変なのかわからないのは

私が息子たちで慣れてしまってるからだろうか。


この子達みたいに秀でたところのないうちの息子たちは

どうやって人生を楽しんでいけるんだろう。


大多数の普通の子って

どんなんだろう。


私も言葉の裏は読めないし

人の気持ちはわかりにくいし


こんな欠陥だらけの人間

欠陥だらけの家庭


深く考えると死にたくなるから思考をやめてしまう癖


やっぱり「今」だけを生きてる虫みたいな人種だなって思う。

シルバーウィーク

敬老の日なのに

独居父の顔を見に行くこともしてない罪悪感


もし顔を合わせたら

父に親不孝者と責められるにきまってる


それに耐えきれないから

行かない


罪悪感のループ


どうしたら断ち切れるんだろう


心のそこから楽しいと思える日は

もうずいぶん長い間ないです

心のすみに常に罪悪感があるからなんだろうな


この罪悪感

どうしたらなくなるんだろう

感情を味わう

よく言う「瞑想」とか

近年聞くようになったマインドフルネスとか

いろいろあるスピリチュアルに通じるものだと思うんですけど

お世話になってる精神科ドクターから教えてもらった「感情を味わう」という作業

これを折に触れ試みていますが

とっても難しい。。。


でも、できてる、と思えるときもあって

それはとても新鮮な感覚です。


今お盆で

実家に行けてない自分に葛藤中で


夜にベランダで

そうやって自分と向き合ったりしています


だからといって、よし行こう!となるんじゃなくて

葛藤したまま動けない自分でも

まあいいか、という気持ちになれる

こういうのを

自分を許すというのでしょうか


感情を味わう

これからも続けていきたい作業のひとつです