50手前の親不孝娘

「今」の気持ちを綴って残していきたい、それだけです。
見栄をはったり、取り繕う時間は、もう無駄としか思えない年齢になりました。
ここに思いを書くことが、私が生きていた証拠なのかも。

母親のごほうび

手のかかる子供の成長そのものが母親のごほうびと思える女性もいるけど

私も私なりに熱心に子育てして

ふたを開けてみれば

子供たちは皆発達障害。

母親のせいじゃないと識者は言うけど

うまく育ったら母親の功績で

うまく育たなかったら母親のせいじゃないって


どういうことだろう?

私も子供の成長が何よりの喜びだったのに


子どもがいつも何かしら学校に忘れ物をしてくる

それを

子どもなんてそんなものよと笑える人もいれば

特性だと親のイライラの種になるばかりだったり


今日はもう暗いのに取りに学校に戻らせた


教師たちはどう思うだろう


変わった親?

養育不可能な親?


疑心暗疑が膨れ上がってモンスターみたいになる


安定剤飲むか

缶酒飲むか


・・・・


俯瞰して

今自分がどんな状態だなって見れるようには

全然なれてない

それだけは、わかる。

期待しないように

低空飛行を維持するように生活するよう心がける

それがいちばん心が穏やかでいられる


さみしいような気もするけど

感情のアップダウンについていける気力体力がないならくふうしないと



すぐ期待する悪い癖?

先日の誕生日しかり。


今日は子供が遠足だったので、張り切って見映えのいいお弁当を作り

ただいまー今日の遠足こんなだったよーと帰ってくるのを


また楽しみにしてしまった。


ただいまのあとはいつものように母には目もくれず漫画にまっしぐら。


いらん期待をしてなければ腹もたたなかったのに。


腹はたってしまった。


なんか言うことないの~‼と怒り親子喧嘩が始まり


「もうこんな家イヤ!」


と息子は裸足のまま外に逃げ出してしまった。


裸足で追いかける私はきっと知らぬ間に

町内の名物かもしれない。


死にたくなってきた。

自分の誕生日

息子二人ともおめでとうの一言もない。

今日なんの日か知ってるよね~ときっかけをつくってあげても

「わかってるわかってる」

で、いつもの自分中心の暮らしぶり。


タイトルにもなってる「親不孝娘」のわたしだけど

子どもの頃は両親の喜ぶ顔が見たくて

プレゼントを選んだりしたなー。


「おめでとう」というのは恥ずかしいけど

物を渡すとき動きに紛れてチャチャっと言えるんだった。


夫よりも息子命のわたしだったのに

息子たちはこんな感じに育ってしまった。


そんなにわたしが嫌いってことよねと口に出してしまった母親を

明日からさらに二人は軽蔑するだろう。


何がいけなかったんだろう。


楽しい未来がなにも浮かばない。


さみしくてたまらない。


スーパームーンの誕生日の夜です。